エミリー・シャー インタビュー

聞き手:ラリッサ・ルクレア(ライター・キュレーター・コレクター)

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LL 2008年にBlurbから刊行されたあなたの「I Can See for Miles」は、Photography.Book.Nowコンペでhonorable mentionを受賞しました。収められているのは2004年から2008年に日本で撮った写真です。前書きに、「日本ほど一つの場所からインスピレーションを得たことはない」と書かれていますし、日本には何度も足を運んでいますよね。ハネムーンも日本だったとか。そこまであなたを虜にする日本の魅力とは何ですか?

ES 私にとって写真を撮る行為そのものの楽しみと喜びは、作品となった写真そのものと同じくらい重要です。日本には心地よさと同時に、圧倒的なまでの奇妙さもある。それが、私の作品にとっての完璧なバックグラウンドとなるのです。日本の風景、建造物、植物といったすべてが、まさに完璧な写真の構成を可能にしてくれる。どんな小さなものも、すべてがあるべき場所に収まっているのです。私は写真に視覚的な理想を限界まで求めるところがあるのですが、それと同時に、感情的なコンテンツにも強い思い入れがある。私にとって感情は、顔の表情に表れるものである必要はないし、他のどんな身振りや身体の動きからも感じ取れる必要はありません。もし写真の撮影過程で本当に感じられた感情であれば、それは写真そのものに滲み出てくると思うのです。これまでの日本への旅はすべて記憶に残る、感情のたくさん詰まったものでした。そういう私の心の状態が、私の作品から伝わってくればいいと願っています。

LL あなたのホームページでは、「Shizenkan」や「Wild Wild Life」などの日本で撮った写真のシリーズが見られますし、Blurbからの最新刊「The Woods」にも日本で撮影した写真が含まれています。撮影に入るときには、ある程度こういうアイディアで行こうというのがあるのでしょうか、それとも成り行きまかせで撮っていって、あとから編集やペアリングで遊ぶのでしょうか。時に何年も経ってから?

ES あらかじめアイディアをもって撮影することはないですね。自分の個人的な作品の場合、何かアイディアを持っているということは絶対にない。撮影の過程ではいつも自由な感覚を大切にしていますし、その瞬間に私に語りかけてくるものを撮影してきました。編集作業と写真を並べる順番はとても重視していて、一定の時間をおいては何度も繰り返し眺め、どの写真とどの写真を並べるとうまくフィットするかを考えます。編集は作品全体の感触を、それを見てくれる側にコミュニケートするうえでとても重要です。優れた編集によって、一見バラバラとも思えるイメージが、関連性をもった一貫したまとまりのあるものとして見せられるわけですから。

LL ブログに日本で撮った写真を何枚かスキャンして掲載し、読者にコメントを求めていますよね。このようなオープンな対話はとてもいいと思うのですが、写真の制作過程でそれはどんな意味を持っているの
でしょうか?

ES コメントはとてもありがたいですし、そもそも私のブログを見てくれる人がいることもとてもうれしい。でも正直に言って、どの写真を入れてどの写真は入れないかの最終決定を下すのは私です。とはいえ写真を見た人がどんなふうに反応するかに興味がありますし、そういう外からの意見が圧倒的に一方に偏っていた場合には、編集に影響することもあります。自分がどんなに気に入っている写真でも、世界中に好きな人が誰もいないんじゃないかと思えることがあって、そういうときはその写真についてちょっと立ち止まってもう一度よく考える。それでも好きだという気持ちが変わらなければ、結局その写真は残すんですが。

LL 私自身、学生時代にカラー写真を自分で現像したり、暗室で焼いたりした経験があります。あなたも暗室で作業してきた古い時代の写真家だそうですが、今はカラーフィルムで写真は撮るけれど、もう暗室で焼くことはなさっていない。昔が懐かしいという気持ちにはなることはありませんか?

ES そうですね、たしかに自分は過去にノスタルジーを感じるタイプだと思いますね……写真だけに限らず人生全般において。今も、すべての写真をフィルムで撮っています。日本の写真は全部120mmのカラーネガで撮りました。家からそれほど遠くないところで個人的な作品のために撮影するときは、4×5のカラーネガを使っています(旅をするのはただでさえ面倒なのに、それ以上面倒にしたくないというのが大きいですが)。カラープリントはもう暗室では焼いていません。今は最初のラフエディットを自宅のスキャナーでやって(ブログに掲載される写真はこれです)、さらに編集作業をしてからプロにドラムスキャンしてもらう。それから色調整したり、いろいろとレタッチをするわけです。暗室でやっていたことを、今ではコンピュータでできるようになりましたね。小さなプリントの場合は、家にあるEpson 3800のプリンタで印刷して、紙は最近Crane Silver Ragペーパーを使っています。大きなプリントの場合は、光沢紙にデジタルのカラープリントを印刷します。こっちはLAにある自分のラボでやっています。私は「デジタル暗室」なんてダメだって、ずっと馬鹿にしてきたんですが、時間が経って、才能ある人たちと仕事を重ねるなかで、デジタル作業の技術の高さはなかなか大したものだと思うようになりました。

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Morning in Shibuya(「朝の渋谷」)

LL あなたが写真の構図の中に何を入れるかに興味を惹かれます。たとえば「Morning in Shibuya」では、一見混沌とした都会的な風景を写した写真の中に空間的な秩序がある。これは他の写真全部に通じることです。この秩序とあなたの作品との関係、そしてこの写真の構図についてのお考えを聞かせていただけますか?

ES 構図は私にとって、きわめて重要なものです。この「Morning in Shibuya」では、いわば「計算された幸運」に恵まれて、そこにあるすべてをあるべき場所でとらえられたという感じがしています。こういう写真を撮るときは、たいていフレームに沿って視線を動かしながらよく見て、ここだという瞬間にシャッターを切るようにしているのですが、いつもうまくいくとは限らない。1回に多くても2、3枚しか撮りません。あるひとつのショットのため1本のフィルムを使い果たすということはしないんです。そのときいいと思ったものを撮り、それから少し待ってみることもします。街がもうちょっとざわざわしてきて、フレームの中に人が入ってきたり、出て行ったり、そういう瞬間を待つんです。そうやって撮った写真が、現像したときに私がイメージしていたものと違えば、それはそれで仕方ない。そういうこともときどきあります。それからせっかくいい構図なのに何か邪魔なものがあるというときには、トリミングもするし、小さい物を取ってしまうこともしますね。

LL その空間的な秩序、構図、そして細部へのこだわりというのは、日本文化固有のもの、特に日本の伝統的な庭園などにみられる特徴ではないかと思います。写真でもあなた自身の生活の中でも、そういう細部へのこだわりが安らぎをもたらしてくれると思われますか?

ES はい。日本の伝統的な庭園をテーマにしたプロジェクトあるいは編集をやってみたいといろいろ考えているところなんです。日本に行くたびに、必ず何カ所か日本庭園に行くようにしています。日本の文化には私にとってとても心地いい側面があるし、日本庭園の中には日本文化の多くの魅力が凝縮されている。庭園の草花や木に対する敬意や気配りには素晴らしいものがあります。虫や蜘蛛までがそこにいていいよ、と尊重されている。日本庭園で職人たちが木や草花の世話をしているのを見るのが大好きです。すべてのものに存在する意味があり、あるべきところに存在しているという、ある意味で夢の世界というか。庭園は静かで、平和で、年配の日本人男性が本格的なカメラで撮影をしているのを必ず見かけます。平日の午前中や午後にカメラを持って、静かに、忍耐強く、撮影している彼らの姿を見るのはいいものですね。なかには4×5のカメラを持っている人もいたりして。私は彼らに、いつも笑顔で親指を立てて見せるんですよ。だってそんな素晴らしい一日の過ごし方ってないと思うから……きれいな場所で、あてもなくただ歩き回って……まわりを眺め、目に入ってくるものを慈しんでいるんです。

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(翻訳:幾島幸子)

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