今、写真において何が起こっているのか?

写真が、それを今まで成り立たせていた「アナログ/光学」的な背景から、「デジタル/データ」世界に移行したことは、 決して悲劇的な現象ではない。無論「旧い写真」へのノスタルジーに回帰しようとしている人もいるだろうが、多くの新しいジェネレイションは、この写真史における「アクシデント」を、よりラディカルなものと捉えている。 たしかに一面では、絵画史との対比の中で成長してきた「写真の美学」は、解体される部分もあるかもしれないが「デジタル/データ」化により、写真はその起源にあった「メディア・ アート」としての可能性を再起動させることができた。その先祖返りは、逆にアナログにおいても、ピンホール写真や青写真のようなものを見直すことすら、引き起こしている。 写真の「デジタル/データ」化は、当初、多くのプリミティブな「イメージ合成」写真作品を生み出した。例えば、歴史的にドキュメンタリー写真が主流であった中国は、アートバブル時期には、合成写真=現代アートとすら図式化されていたこともある。ジェフ・ウォールやグレゴリー・クリュードソンと見まごうばかりの、あるいは、シュルレアリスム絵画をなぞるような「写真」が大量に発生したことは、まだ記憶に新しい。果たして、そのような安易な合成写真を「写真」 と呼んでよいのか。そのような合成物はすぐにコマーシャルフォトに採用され、少し前ならば、多額のロケ経費やセット代が必要であった「一発撮り」の写真が、あっという間に姿を消した。「パーフェクトな合成」はスティール写真だけでなく、「動画」においてでも可能になり、「合成写真がアートになりうるか」という議論をする前に、すでにそれが「消費物」の烙印を押されてしまった感じすらある。合成により生まれたイメージが、「写真」をさらにヴァージョン・アップするものではなく、よくできた「イラスト」にすぎないという幻滅感をもたらしているのである。

日本の若手写真家の流れには、90年代と2000年代において、大きな切断があると思われる。その切断は当初はあまり意識されていなかったが、それは次第に大きくなりつつあると思われる。90年代の流れは、ホンマタカシの『東京郊外 TOKYO SUBURBIA』に知られるような、「ニューカラー フォト・リバイバル」であり、荒木経惟にみられるような「写真=人生」という物語性であった。しかし、2000年以降の、 デジタル・カメラ・ネイティブの世代にとってトリガーとなったのは、中平卓馬や森山大道が関わっていた「PROVOKE」 の写真やその考えだった。彼らが 60年代から70年代にやった「写真とは何か?」という「ラディカルな問い」が、アナログからデジタルという「写真の転換期」に再発見されたと言ってよい。合成により未知を探すという愚かな道ではなく、多くの若手写真家は「写真のメディアとしての起源」や写真の臨界点、写真の拡張という冒険に向かったのである。それは今までの「写真」についてのできあがった概念をリセットすることになる。
例えば、震災直後に東北を訪れ、ガレキを撮影して『Elements』をつくった小山泰介はこう言っている。
「2012年から制作している『Elements』は、作品全体のサイ ズ、グリッドを構成する写真の点数とセレクション、各写真のサイズ、配置、間隔、展示フォーマットが可変であり、ひとつの状態に決定しない/決定しえないという写真の決定不可能性をコンセプトとしている。すべては流動的で、展示スペースに合わせてその都度バリエーションが生成されている。これは写真の限界やデジタル写真の間接性をポジティブに捉えて、反覆可能性を探求する試みであり、2009年から続く『Rainbow Variations』全体とそこに含まれる各シリー ズにおいても同様の試みを実践している。」

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写真の「デジタル/データ」化は、写真のカタストロフを超えて、今までなかった新しい写真のマテリアリティという可能性を喚起している。しかし、強調しなければならないのは、それはフォトグラムが発展した「アブストラクトフォト」の反復でも、コラージュやグラフィックを写真として認めさせようというのとは全く異なった次元の出来事であるといるということである。たしかに吉田和生が言うように、技術や文化の進歩に伴い、イメージから読み取れるコードは一層複雑に絡みあっている。「具象/ 抽象を認知の可/否という観点で捉えると、絡みあった紐のもつれを解きほぐすこと、別の紐と結びつけることに興味がある」という彼の姿勢は日本の若手写真家の基本的なものだ。 しかし、今進行している進化を安全な地点からコンテクストを読みとけるほど、安穏としたものではない。
川島崇志は近作『描きかけの地誌/蒐集』で、「写真衝動」の強度という問題意識を発展させ、写真デー タを圧縮し、自動生成させて得られたイメージや、3Dプログラムによって得たイメージなどを断片的に駆使している。 川島は言う。
「世界は幾通りもの解釈の可能性があり、これまでの視覚的な体験のほとんどは、「とある一つの視点」にすぎません。 それには、もちろん時間的な前後や、空間的な前後左右が存在します。3D化(視差、3Dデータ)という行為は、世界をより視覚的に具体化し提示することができる可能性をもっています。蚤の市でみつけた何かに、ひとつの新しい価値を見いだすような行為と同様、写真は一種の現実をセンサーとして発見したモノ(世界)であり、3D化することによって得られるイメージは、過去をただ顧みる退屈なものとしてだけではなく、新しい価値や、近しい未来を予見すると私は考えて います。」
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最後に、東京で最も若い世代に属する小林健太を紹介してこの稿を終わりたい。彼はついこの間まで、渋谷でシェアハウスの一員として共同生活をし、生活と写真がグループウェアとして生成することが当たり前の中にあった。自分と他者、 写真とグラフィックやグッズ類もすべてボーダレスな状況と、デジタルベースで画像編集することが空気のように当たり前な世代なのである。彼は、データは実体のないイメージとして捉えられがちだが、ソフトウェアで変換・変形させたりしていると、実体の法則があらわになったりする。それこそがまさしく写真だという。
「写真が面白いのはそれがイメージ自体であるかのように強く錯覚させること。でも実際はあるモノがある形態に変化した状態でしかなくて、変化し続けることができる。そのことを忘れてはいけないと思う。僕は写真を考える時に、よく生命体を想像します。すべてのモノは変化し続けるけれど、生命体の変化には目的がある。変化しながら繁殖し、生存する。 写真が流通する様、例えば画像が拡大縮小され、データが書き換えられながら増えていく様子は、変化と繁殖に対応しているように見える。おそらく僕が発行した写真のいくつかは、 僕が死んだ後もしばらくの間は、そうした変化を繰り返して僕より長生きするだろう。」
小林にとっては、「デジタル/データ」化された写真はもはや進化し続ける生命体そのものである。写真は現実の似姿でも記録でもなく、実体として存在する、ハイパーマテリアリティをもったものと言えるだろう。それがモニターの中にいるか、出力として物質化されるか、Tシャツやインテリアや オブジェになるかは、もはや小さな問題でしかない。 第一次世界大戦がダダをうみ、アートをモノにかえした。その時ハンス・アルプはガレキの中から新しい生命体を創造した。果たして、小林や川島は、どんなクリーチャー、あるいはミュータントとしての写真を生み出すのか。そうやって東京の写真は進み続けていくだろう。

G/P ギャラリー ディレクター 後藤繁雄

このテキストはアートビートパブリッシャーから出版された『hyper-materiality on photo』から抜粋して掲載しました。ぜひご一読くださればさいわいに存じます。アマゾンなどでの販売サイトが見つからない場合はフラクションジャパンからお買い求めください。