Noise

今、ここに“存在するコト”を丸ごと受け入れる。シンプルなことのようですが、難しいことです。私たちは目の前の現実を、しばしば“自分に都合良く修正した別のコト”にすり替えてはいないでしょうか。正確に視る、しかも視界を定めて緻密に視るということは、実は高度な観察眼と深い思考力を必要とする作業です。
不都合な現実も、不適切な状況も、写真家がその現場における『信じられる目』として “見るべきモノ“を見落とさず、丸ごと受け入れ、シャッターを切った時、“見るべき人”の元へ繋がってゆける“居場所を持つ写真”としての一歩を踏み出せるからです。 

写真は私たちを取り囲む外界に被写体を得ることで成立します。かつて、写真家たちは撮影現場でのノイズやトラブルをいかに克服するかに多くのエネルギーを費やしてきました。そして技術の進歩によって“ちゃんと写ること”が前提事項になった時、『写真の質』は、写真家自身が“そこで何を、どう見るか”にシフトしたのです。

私は『写真の質』とは、写真家の“視ることへの誠実さ”だと考えています。写真家が対峙した“そこに、存在するコト”を、ノイズも含め、彼自身がどのように受け止めたかが、評価されるのです。ある意味、ノイズの取り扱いにこそ、写真家のオリジナリティーが発揮されると言ってもいいかもしれません。

今回ご紹介する4人の作家は、それぞれに異なる判断で、このノイズに取り組んでいます。四人四様の美意識、信念、姿勢がここにははっきり読み取れます。
デジタル技術の進歩で、今やノイズはいとも容易くコントロールできるものになりつつあります。ここで今一度、未来永劫、写真が“信じられるコト”であるために、どのように写真と向き合って行けばいいのかを、改めて考えておきたいと思うのです。

SKIN - 加藤純平
肉眼では見落としがちな建築物の微細な劣化や退色に注目することで、その表層で起こっている時間の痕跡が辿れる作品、『SKIN』。良好な状態であるという判断は何処までが許容され、何処からは許されないのか。 整理された印象とは裏腹に、じっくり視ることで感じされる違和感。現代社会を支配する基準判断の危うさと曖昧さを示しているとは言えないでしょうか?

TIME and TIDE - 広川泰士
完璧と感じる一対の作品における微妙な差が、実際の現場では大いに異なる状況であることを提示する写真的検証とも言える作品。太陽の光と月の光、その光の質と量をどのように捉えるかは、まさに見た人自身の個人的な印象と判断であることを納得させられる作品です。

砂町 - 大西みつぐ
東京下町の湾岸エリアの現在を、ビビットな色彩で写し出した『砂町』。まさに色彩の氾濫ともいえる鮮やかな色は、下町に寄せられる既成概念である“ノスタルジー”を圧倒的に凌駕し、“生きていることのエネルギー”として結実しています。写真家の視線に先に広がる被写体、砂町。この場所が、これからも大西を魅了する被写体であり続けることを宣言するかのようです。

VANISHING EXISTENCE – 岡原功祐
静謐な構図の中に佇む人たちが抱える真実は、胸に突き刺さるような強さで見るものに伝わってきます。ドキュメンタリー写真においては、一枚の写真の中に写し出されている事象は重要な要素として機能し、それらが重なり合うことで、ある真実を具体的に浮かび上がらせます。ただ、どのように悲惨な状況にあっても、写真は人間の尊厳への敬意を持って、撮られるものであるべきです。『VANISHING EXISTENCE』は、その意味で尊い作品です。

太田菜穂子 (『東京画』コミッショナー )

東京画ウェブサイト