存在から不在へ  スーザン・バーンスタイン

Absence of Being by Susan Burnstine

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ラストグッドバイ、2010


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消えるこだま、2010


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上のように,下のように、2010


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空が消えゆくまでに、2010


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横断、2010


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日食、2010


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最後の収穫、2010


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行き止まり、2010


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横切る、2010


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裂け目をこえて、2010


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終わりのはじまり、2010


雲の中に消えた飛行機を、私たちは見ることも、聞くことも、触ることもできない。けれど、それがそこに存在することは知っている。感覚のうえでは、それがまだ存在するという具体的な証拠は何もない。それでも私たちはみじんの疑いもなく、それがそこに存在することを確信する。自分の感覚の限界を保留して、信じるのだ。

人が死ねば、肉体的存在はなくなる。それは存在の終わりを意味するのだろうか。それともその人の人生が残した物を通して、その人は存在しつづけるのだろうか。建物が壊されたとき、その存在は完全に消し去られるのか、それともその刻印は集合的無意識に残されるのだろうか。

この進行中のシリーズは、過去がどのような形で――たとえ影としてでも――残されるのかを探ろうとしています。これらの写真は、束の間の記憶――眼の隅に浮かび、直視しようとしたとたんに消えてしまう記憶をとらえています。消えても、それらはなお存在し続けます。なぜならその刻印は残るからです。私たちは現在に生きていますが、過去もまた未来と同様、私たちの一部であり、私たちも過去や未来の一部なのです。

この一連の作品でも、過去のシリーズと同様に私は複数の手作りしたフィルムカメラとレンズ(とても気まぐれで、技術的にも困難が伴います)を使って、後処理をせずに製作しています。カメラは基本的にプラスチック、ビンテージカメラの部品、そしてその辺に転がっているような物を使って作り、シングルレンズはプラスチックとゴムで作ります。さまざまな限界があるために、結果的に自分の直感や本能を頼りするようになりました――目に見えないものを信じようとするときにも直感や本能が頼りになるように。

(翻訳:幾島幸子)

スーザン・バーンスタイン
カリフォルニア州ロサンゼルス在住の写真家。
スーザン・バーンスタイン ウェブサイト Susan Burnstine website