フィルムの上の影 ビクター・コボ
Shadows Onto Film by Victor Cobo
私が4歳の時、悩んだ末に両親が離婚しました。父はヘロインを含めたすべてのドラッグに手を出しており、しかも重度のアル中でもありました。関係はひどいもので、時には深刻な暴力まで発展したため、母は選択の余地もなく私と逃げるしかありませんでした。
最終的に父は目が覚め、ケンタッキーのアパラチアン山脈の辺鄙な場所にある実家へ戻りました。そのころには精神的に鬱になり統合失調症を患っていました。認知症となり、聞こえない声が聞こえだし、電話で話すことに偏執的になっていました。悲しいことに重病であるのに、本人はどこも悪くなく、この世の悪魔や悪意が彼の周りに潜んでいると妄想しています。悲痛で風変りな世捨て人になり、診断はもとより治療を拒んでいます。
子供の頃、夏休みの間は父の元へ預けられました。毎日、出かけてお互いの写真を撮ろうと父はいつも言いました。何年もの後、父が撮った写真が父の頭の中にあった私との想像上の関係を表していることに気がつきました。
最後に父とあったのは13年前の2000年のことです。父の母親がなくなり、私は一人でケンタッキーのマンチェスターでの葬儀に出席した時のことです。驚いたことに、「私たち」の想像上の関係を、父が家のすべての壁に注いでいたことを知りました。70年代終わりから90年代初めまでの夏休みに撮れた二人が一緒に写っている何百枚もの写真が貼ってありました。それは彼の秘密の聖廟であり、世界から隔離されたものでした。多くの写真では、私は微笑んでいません。これは、まだ幼いながらも、写真が映し出している「関係」というものが本当ではないということを分かっていたという証拠です。
私のほとんどの作品は、この染みのある不自然な時期から影響を受けています。色々な意味で、作品の中で表現される個人的な世界は、私自身の逃避過程です。想像上の明るい光、または本質的な闇でとなり、父がそこにいます。彼の影は、常に私にかかってきます。自分では認めたくはなくても、彼のことが好きなのでしょう。そこには、孤独、「外者」、同時にいたるところにある必然性つまり、死への不安などの風景があります。したがって、写真は私の治療となりました。闇の幻想、病的な興味や現実が非現実へと朽ちていく様に魅かれ胸が躍ります。釘づけになります。父の才能は重い重い曖昧な重荷です。それらは、私にもあり、またその中に私がいます。
ビクター・コボはサンフランシスコ在住の写真家。
(翻訳:山田晃弘)