小松整司 選 (ディレクター・エモンフォトギャラリー)
小松整司 ステートメント
一山 / 2014 古賀絵里子
Issan / 2014 by Eriko Koga
2009年夏。”Happy maker” というアートイベントで写真展を開くため、はじめて高野山を訪れた。そして、そこで過ごした二週間は、決定的に私の心身に鳴り響き、写真家として深い意味を持つことになった。処女作『浅草善哉』を撮り終えてから、次のテーマを希求していた当時。下山して、東京の日常へ戻ってからも、どうしても高野山が心と頭から離れなかった。すでに聖域としてのイメージは世の中に十分知られている。でも、私が生で掴んだ高野山はそれとは違うものだった。継承された聖域としての面がある一方、そこにはあたり前の暮らしがあった。生き生きとした命があると同時に、見えない力が感じられた。観念を捨てた、印象のままの高野山をどう写真で表現するか。困難な道に違いない。何を撮っていいかも、何が撮れるかもまったく分からない。でも高野山に惹かれている。ただ、その気持ちに忠実になろう。そう決めて、高野山通いをはじめた。カメラ、フィルム、着替えとお土産でパンパンに膨らんだリュックを抱え、夜行バスに乗る。翌年からは山内にアパートの一室を借り、毎月一週間のペースで撮影を続けた。
「なぜそこまでして撮影に通うのか」と問われれば、「こちらが本気にならないと、相手も本気で返してくれない」と答えるだろう。人に対しても、自然に対しても、見えない力に対してもそれは変わらない。『浅草善哉』の時も同じスタンスで六年間、長屋へ通ったことを思い出す。続ける事で自分も相手も変化するし、その変化の過程にこそ驚きや成長、感動やシャッターチャンスが潜んでいる。そこを端折っては結局浅いものしか見えて来ない。対象と真剣に向き合う事、自分の心に忠実である事、続ける事、それがものづくりの根幹にある。
自然を対象とした撮影を三年ほど続けているうちに、次第に行き詰まりを感じるようになった。写真に何かが足りない。高野山に惹かれ通い続けていられるのも、そこに暮らす人達が温かく迎えてくれるおかげだった。自分の中での決めごとが、目の前の大事なものを写真と切り離していた。そのことに気がついてから、対象を決めずに、自分が感じるものを写すようになった。『浅草善哉』で出会った老夫婦、善さんとはなさんには「人にとっての本当の幸せ」を、その存在や日常の暮らしから教えてもらった。高野山も同じようにして、抱えきれないくらい大事なことを教えてもらっている。
結局、私にとって「写真」以前に「人」が在るのだと思う。人としてありたい。そう願う心が、自分に欠けているものを埋めるために、ある場所へ、ある人の元へ通わせるのだろう。自分が求めるものが目指す先にあって、対象の懐が深いほどのめり込んで行ける。それは信仰と同じようなものかも知れない。必死にあがくことでその都度、道が開かれる。意思を貫くには、精神的な強さと人の支えが不可欠なことも改めて学んだ。そして撮影を通じて、言葉にできない、でもまさに感じるものに「写真」として命を吹き込む。撮影、現像、暗室でのプリント作業。その繰り返しから、いつしか作品が生み出される。
高野山で誰彼ともなく口にする「お大師さまのおかげ」。ああ、これが本当の信仰というものなのだろうと、通い始めて四年目にして気がついた。2015年、空海が高野山に真言宗を開創して1200年目を迎える。『一山』に命を吹き込む事。それがお世話になった高野山への恩返しになればと願っている。
古賀絵里子は京都在住の写真家。