波ー海 森永純
Nami-Umi by Jun Morinaga
ある年の五月、私は千葉の海岸へ撮影に行った。防波堤の一隅に座り、ゆったりとしたリズムを繰り返す波面の一点を長い間、見つめていた。三十数年前のことである。
太陽熱と心地よい波の揺れのせいで軽い幻覚が起こり、波面が凍結したように見えた。その波面を歩いてみたいとも思った。危険な瞬間である。眼球を左右に動かしていれば、確かに波は動いている。しかし、同じリズムを繰り返すベタ波の一点を凝視していると、動きが止まる。「海の波」ほど、わたしたちの脳でおこる夢に似て、リアリティと幻影の交錯が激しい世界はないと思った。
刻々と変化する波の表情、その一点だけのスペースを注しする事に、この時以来、私は魅了されていった。
高低差のある白波が立つ、人間の尺度を遙かに超えたダイナミックな波より、「さざ波とうねり」が同居した波の、複雑で見る者を誘いこむような動きに飽きず、興味をもち続けた。
しかも波は、日によって繊細で異なった美しさを見せてくれるのである。こうして私は、海の「波」の撮影を始めていき、それは三十年以上経った今もまだ継続中である。
波面を長く見続けていると、ときに波の動きと宇宙感覚が同化してしまい、己がどの位置にいるのか、天地さえわからなくなっていく。海水の粒子の一つが水中で回転している状態に置かれた気分である。こんなとき、私は心底、恐怖を覚える。
人間という生命体のエネルギーが「心、身体」から成立しているとすれば、波のエネルギーの元は、主に「風、海水」である。海水が風によって動き出すと、もはや単なる動く液体ではない。人間と同じ「生命体」に変身、いや、それ以上の巨大な存在であることを何時も痛感させられている。
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