性感帯――自己の視点から トレイシー・マットロック
Erogenous Zones from the View of the Self by Traci Matlock
最大限の星の光
十分に成長した木
十分に成長した木
外側が内側を語る
深夜のバターミルク
何も持っていない手
柔らかい、柔らかい肌
爪
お願いと言う口
お願いと言う口
私がそれを生々しく表現してあげる
私がそれを生々しく表現してあげる
雨はどのように降るか
私は自分をバラバラにしか認識できない
日々、新しくなる
以前どこかで、人間の体を構成する分子は肉体の範囲内にとどまっていない、ということを読んだことがある。私とあなたが隣り合わせで立てば、私の体を構成するかけらとあなたの体を構成するかけらとが混ざり合う。そればかりか、私の体を構成する分子は家具とも、地面の土とも、フォークで小さく切ろうとした皿の上の魚とも、指を切ったガラスの破片とも、そしてカメラとも混じり合う。
肉体の境界からの脱出に立ち会うこと(そしてそれを盗み見ること)は、私にとって限りない喜びとなる。とりわけ、それが肉眼では見えないときには。
私たちの肉体的形状が常に新しい――私にいわせれば、美しくもあり、同時に醜くもある――形状へと急速に変化していることを、物理学は教えてくれる。動きを志向するこのエロティックな肉体の性質と、気まぐれなフィルム画像とを組み合わせたとき……私はその魅力に圧倒される。肉体が科学と、「心」で描く技術の両方に対して嬉々として機能するさまは、私に喜びをもたらし、私を駆り立てる。
私が肉体の写真を撮るのは、それが危険であると同時に脆弱でもあるから。多くの場合、自分自身の肉体を撮影するのは、その行為がより危険で脆弱であるからだ。2枚1組で撮影する(in duplicates)のは、傷つきやすいものは同時に美しいメカニズムを備えている(その逆も同様)から。この世界には一度では触れることのできないほど多くのテクスチャーが存在するのだ。
肉体は数多くの矛盾によって構成されている! そしてそれと同じ矛盾が、目から最終的な画像への転換――それを行うのはもちろんカメラだ――がいかに行われるかを決定づける。
(翻訳:幾島幸子)
トレイシー・マットロック
テキサス州ヒューストン在住の写真家。
トレイシー・マットロック ウェブサイト Traci Matlock website