白いロバに乗った男を求めて ユーコフ・イズラエル
The Quest For The Man On The White Donkey by Yaakov Israel
ガリラヤの海辺 2004
窪み アイン・ゲディ 2011
イザック 死海のヒルトンにて 2006
マラキとグルアリー・イェフダ イェルサレムにて 2007
ベン ガリラヤの海辺にて 2009
フェンス ハビカにて 2006
眠るニリ ネビムサにて 2010
門 メトケイ・ドラゴットにて 2010
垣根越しに見える眠る犬とスバル 2006
アレンビー橋にてベドウィン族 ヨルダンとの国境 2006
死海のカリアビーチ 2006
警察 ハビカにて 2011
白いロバに乗った男 ハビカ 2006
エマン 南西ネゲヴにて 2011
お祈りをするブラスラフ・ハシド ハビカにて 2011
建築資材 イスラム教墓地 イェルサレムにて 2010
ゾーハルとヒメヤマセミ 2010
掩蔽壕 ガリラヤ西部にて 2011
絨毯 イスラエル北部にて 2009
焼焦げた風景#2 イェサレムの森 2011
ユダヤ正教の言い伝えによれば、メシア(預言者)は白いロバに乗って現れるといいます。
数年前、死海周辺で撮影をしていた時、パレスティナ人男性が白いロバに跨って通り過ぎていったので、その写真を撮りました。このユダヤ正教の言い伝えを知るにつれて、このとき「預言者」に出会っていたことに気が付きました。この偶然の出会いが「The Quest for the Man on the White Donkey:白いロバに乗った男を求めて」というタイトルのシリーズを始めるきっかけとなりました。
アメリカの素晴らしい旅写真の伝統が私の探求の初期段階で下地となりながら、イスラエルが小さな国であるという決定的な違いが、私の求めるものを自ずと先達の写真家との違いを見せています。それは凝縮された経験。ほかの国では、旅写真は数か月に及ぶ旅の連続となりますが、ここではどこ行こうと短いものになり、ほとんどの場合、遅くとも午前零時には帰宅できます。
何度も同じ場所を再三訪れるにつれ、このプロジェクトの主題が自分にも明白なものになっていきました。物理的な旅そのものの説明をするということをやめ、親密さや感情的なものを呼び起こすものに注意を払うようにしました。人や景色とのそのときどきの出会いにどう反応し、またこれらがどのように見出され、同時に消えていくのかということを考えることに集中しました。それは絶え間なく変化する、もしくは不変の風景の一部であるかようです。
私の使途が、「メッセージ」を明らかにしたとき、私の国に対する深い理解への探求と、私をイスラエル人たるものにすることが、狭間的な場所や想定外の状況を探し求めるよう急かせるようになりました。何時間もそれを明白なものにする術を待ちながら立っていると、突然に、細かいことが私の注意を引くか、私を避けるか、もしくは困惑させました。しかし、最後にはそれにしがみ付かなければなりませんでした。その細かなものが自分のものとなるまでは、また捉えにくく謎めいたものが、私が本物の出会いと見なすことができる場所を得るまでは、手放すことはできませんでした。
イスラエルでは過去の痕跡が、強く現在点や未来への問いかけと結びついていると感じます。そのため、時に過去を見ることができると同時に、目の前で現在や未来がはっきりと見えることがあります。イスラエル人としてのアイデンティティーとして、すべてに対し問いかけ、何事に対して当然とは考えません。また、常に存在する緊張を表現し、現実の裏にある真実を伝えます。宗教、日常に浸透する社会的側面やその意義が、旅が進むにつれ明らかにされていきます。ユダヤ教伝道者、失われた魂や社会の片隅で生きる個人個人すべてが人類の景色の中に溶け込んでいます。
ヤーコフ・イズラエルは、イスラエルのイェサレム在住の写真家。
(翻訳:山田晃弘)