幻灯景 川鍋祥子
The Views of Magic Lantern by Sachiko Kawanabe
故郷の風景・家族のポートレイトにより命のつながりを表現した作品です。
「人は一人では生きていけない」とよく言われます。仮に「自分は独りだ」と思っている人がいたとしても、その人もある日突然自然発生したわけではなく、必ず「何処か」で「誰か」から生れてきているはずです。誰しも日々忙しく毎日の雑事に追われていると、こんな当たり前の事を忘れてしまい孤独に陥り、人間として大切なことをつい忘れてしまうことがあるのではないでしょうか。「命はつながっている」「自分もどこかでだれかとつながっている」このことを心の片隅においているだけで、もう少し今よりも楽に生きられるのではないかと思うのです。
私は、長い苦しみの後に子供を産んだことで、自分も母から産まれたこと、これから娘に命がつながっていくという「命の循環の力」を実感しました。「つながり」には様々な形態があると思います。人の命だけでなく、土地、あるいは自然の中にもみつけることができます。どのような形でも「つながっている」という感覚はあたたかい。「あたたかさ」は滋養であり希望を生む。生きていく上での土台のようなものではないでしょうか。
人には必ずつながっている場所があると考えます。誰にでも必ずある生れた土地には、それぞれに特別なつながりや力があり、そこに立つだけで土地の力に包み込まれ安堵する。これらの景色は旅人が見る一過性の景色とは異なり、見ること、そこに立つことによって深い滋養が得られるものだと考えます。
生れ故郷に年に数回帰る度に、実家から徒歩圏内の景色を、四季を通して撮影している。主に子供の頃に通った路地、坂道を上ったところにあるいつも遊んでいた神社の周り、どこからでも必ず目に入る諏訪湖を、一人で、時には娘と母と散歩をしながら撮影している。時に娘が幼い頃の自分と重なったり、母が祖母の姿と重なったりする。このようにして生れた土地に母、私、娘の3人で立っていると、地面からさらなる太古からの「つながり」を感じ、何者かに強く守られているという感覚に包まれる。そう感じた時に目にした景色を掬いとり記録している。それらは例えるなら幻灯機から映し出された映像のように淡く儚く、次の瞬間には消え去っている。
川鍋祥子は東京在住の写真家。