YELLOWS 五味彬
YELLOWS by Akira Gomi
『YELLOWS』の試みが、その美しさも醜さも滑稽さもすべてひっくるめて、1990年代の東洋人の女の子たちのからだの現実を刻みつけた、貴重なドキュメンタリーであることは、いくら強調しても強調し過ぎということはない。しかし、そこには機械的なドキュメンタリーの作業にはおさまりきらない、写真家とモデル達との微妙な共犯意識が刻みつけられている。モデルたちは自分たちのからだをそこに置くことで、ありふれたスタジオの空間を特権的な「彼女たちの」場所に変える。写真家はその場所の気配を注意深くイメージに置きかえていく。その行為が奇妙に非現実的なのは、どこか“愛”や“苦行”にも似た感情のやりとりが光の中で交わされているためだろう。
飯沢耕太郎
このアルバムにあふれる裸は、恥辱を味わわせるための「剥脱」でもなければ、劣情を催させるための「誘惑」でもないのだ。むしろそれは、裸のままの獣が自然体に思えるのと同じ意味で、「自然さ」を感じさせる。
自然さというのは、事実の本質でもなければ、リアリティでも何でもない。ただ単純に、本人の長所を表現するための最も手をくわえない化粧、というにすぎない。そこに表現されるのは、好ましさ、である。真実ではない。
写真がもはや赤裸々という表現のままに真実を写しだすものではなくなったのだ。そのかわり、これが写しだすものは、自然さに名を借りた、ある一時代の好ましい感性である。なにが好ましいのかを写す、という意味での記録なのである。
これは、かつての犯罪・人類学フォトが醜悪さをこそ記録しようとしていた事情を、完全に逆転させる。写真は、グロテスクだからこそリアルだった。しかし現在は、好ましくなければ写真ではない。
荒俣宏
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