川田喜久治インタビュー

Kikuji Kawada Interview 2012/Nov.

永田陽一(以下*):  狩猟採集時代の古代の人間は今の僕たちよりもずっとわれわれをとりまく世界からの信号を受け止める感覚がすごかったんだと思います。神々とか超自然からの信号といってもいいですけど。そういう信号を夢や啓示を通じてうまく受け止めることが彼らの生死を左右することにつながっていたからだと思います。
工業化社会になり都市に安全に住まうようになってきて人間はそういう感覚がどんどんにぶくなっていった。それとひきかえにさまざまな道具によって快適に暮らせるという恩恵を受けながらです。
僕は写真家という種族はカメラという道具をもっていることによって世界からの信号、神々からの神託を時として聞くことが出来る存在じゃないかと思います。
カメラという機械の眼をとおすことによって、生身では見えない、聞こえなかった世界からの信号を受け止めることが出来るようになる。もちろんそのことを意識したある種の写真家だけのことだと思いますけれど。

僕は川田さんの作品をカメラをもった霊媒が示した神託のように眺めてみたりもするのです。川田さんはクライシスを感じる時と場所でシャッターを押す指が自然に反応してしまう、とおっしゃっていますね。
このインタビューでは川田さんがどのようにしてクライシスを感知して、それをヴィジュアル化してきたのか、ということを技術論をまじえてお話しいただけたらと思います。

前作の『World’s End』では東京で毎日撮影することをご自分に課した、とおっしゃっています。毎日撮影するというのは精神的にも肉体的にも大変な作業だと思います。
僕には毎日東京で撮影する、ということになかなか実感がわかないのですが、例えば僕がツバルという島に空と海だけを撮影しにいったときは一ヶ月あまり悪天候の日をのぞいて毎日撮影していました。海の表面は素早く変化していくものですからその一瞬の表情をとらえるために指先から全神経を集中させてファインダーをのぞいているわけです。ものすごく見るということに全身体を使います。でも、まあカメラをもっていないときはなんだかボーッとしてますよね。
川田さんが毎日撮影している姿勢というのはそういう撮影スタイルではなくて、むしろ武道家のように力を抜いてすーっと動いているように思うのですが、どうなんでしょうか?

川田喜久治(以下K.): 毎日撮ること? プロとアマの本当に違うところです。作品を作り続けること。小説家だって毎日書くでしょう。画家だってそう。写真の制作者も同じことです。写真は記録しつつ、壊さないと、表現にいたらない。テーマを見つける方法があるとしたら、そのプロセスから。違った取り組みだっていくらでもあるでしょうが。

*僕たちはスナップをする、という行為をするときにカメラを向けシャッターを切るシーンにはあらかじめ自分のなかに内在するイメージや何か読んだもの、それまでに見た絵画の印象、自分自身の記憶といったものに影響されながらシャッターを押しているのかな、と思います。
生まれたての赤ん坊のようには世界を見ることはできません。既視と未視のはざまのなかから新しいランドスケープを発見するということはスリリングなことですが、とてもむずかしいことでもあります。
むしろブリコラージュのように役に立つかどうかはわからないままとりあえず気になった世界の断片を集めておいてあとで組み合わせ方によって有効な物語を構築していく、というのがスナップ的な手法から新しいランドスケープを見つけていく方法なのかな、と感じています。
川田さんのなかでのこの断片と全体ということの方法論を少しお聞きしたいと思うのですが、いかがでしょうか。

K: 写真はブリコラージュの方法論で制作も可能でしょうが、ぐるぐる迷路めぐりみたいですね。気がついたとき、写真の姿が消えているかもしれません。フォトジェニーそのものがいいのです。それが壊され、繰り返されることが素晴らしいと思うのです。

*フォトジェニー。写真に永遠につきまとう皮膚感覚ですね。

K: これはフォトジェニーの世界であると感じたものは写真化しておく。観察をふやしだんだんと近づいていく。テーマに。フィクションにならないようにと思いますが、写真の表層の部分にあやしいところがあるでしょう、フィクションにもなるというところ。

*川田さんは毎日撮影しなければ、撮り漏らしてしまうことがあるように感じる、とおっしゃっています。
写真家にとって撮影する瞬間は常に一期一会です。その瞬間に二度と再び巡りあうことは出来ません。世界は一瞬一瞬変化していて、撮影している僕たち自身も常に変化しているからです。
土門拳は「今、撮影しないと宇治平等院が逃げていってしまう。」といったそうですが、そういう焦燥感というものは撮影していると常に写真家が感じることです。

K:  土門拳の動く平等院の話。平安期、西方浄土を祈念する阿弥陀堂。本堂南北の屋根に雌雄の鳳と凰をのせて、動く鳳凰堂の意味はときの終末思想と照応する精神と土門先生は強くシンクロしていたのでしょう。クライシスを強く感じたかもしれません。鳳凰堂が逆光のなかで影絵のように動く驚き。ときの雲が動きをさらに加速させたと思うのです。あの雲は1961年の美しい夕映えでしたが、雲は違った意味の等価をそれぞれの時代にあたえます。海もそうですね。津波の来襲のように。石だって、ひとの血管だってそうです。ヴィスコンティのクローズアップ、『家族の肖像』『山猫』のランカスターの顔の血管です。あるいは、バーガーの演じるルードヴィヒ二世の闇のような虫歯だらけの口のなか。世界そのものです。

僕はなんども東照宮を撮りにでかけました。龍が拝殿や本殿に何匹も乗っていますね。ヒグラシの鳴き声を圧するように、暗いしじまのなかを動くように感じます。龍が飛ぶようにも見えるのです。
幻覚がリアルといれかわるときって、いま生きている瞬間と同じですね。写真にとらえようとするおののき、その波動が激しくなるほど、見えないものを求めてくるのだと思います。
平等院で。土門先生はシャッターチャンスについて、カルティエ・ブレッソンの『決定的瞬間』に少なからず異を唱えたニュアンスがあります。シャッターの切れるときはただの一回、一期一会で心眼だと。いたいほど精神性の吐露告白です。それを普遍の光景に変えようとした形跡が写真に残っています。ジナー大型で直叙スタイルのなかに。ブレッソンは「一瞬のなかの形の美を記録する写真の可能性」と冷徹です。やはり、犀利な幾何学的な精神の持ち主なのですね。彼はライカの50mmの視点です。ヨーロッパ人と日本人の違うところといえばそれまでですが、これから、写真もさらに世界にむかっての働きかけが複雑になっています。二人のシャッター論を出来たらシャッフルし、融合させながら、フェノメナの流れのようにうつしたいです。

*撮影には歩いてでかけられますか、それとも車でしょうか?というかどのようなスタンスでその日の撮影スタイルを決められているのでしょうか?

K: 撮影は歩きもあれば、車のなかからのときもあります。ほとんど、車と歩きで続く次の日へと移動しています。目的を意識しないフィジカルな移動こそ僕の日常です。

*天候も関係あるのでしょうか?

K: 朝の太陽は必ず確かめます。雲の切れ目から太陽が見えたときなど写真を写します。この行動って、脳のどこかで安心しなさいっていわれているみたいですね。
朝食。その前に血圧を測ります。八年ほどの記録あり。118-78-63.怒ったとき150を軽く超します。フォトナム&メイソンのアッサム・ストレート。フレィクスに乾燥ベリーと蜂蜜。リンゴとグリーンジュース。エビアンと水道水のブリタの濾過。もう何十年もかわっていません。ウェットシェーブ。32段の階段を降りて地下の仕事室へ。家にいるときはこの階段を何回も上り下りします。ベランダでは双眼鏡と赤道儀をいじったりしています。

*撮影されている場所は、ご自宅もふくめてご自宅付近の市ヶ谷近辺や靖国神社、六本木、新宿、皇居などがありますね。 その日に撮影する場所はどのように決められているのですか?

K: ラーメンを作ってもらい、デザートに栗蒸し羊羹と煎茶。妻を神田錦町河岸の太極拳本部道場に送り、帰りみち、靖国神社に駐車。雨後の鉄製の大鳥居、大阪砲兵工廳鋳造、明治初期のもの。生き残った戦友が記念植樹した山桜の大木を何本も見て回る。昭和初期の植樹。苔むす緑が異物のように。どこまでクローズアップできるかテストのつもりで撮影。境内で記念写真を営業にしている初老の女性にフィルム写真とデジタル写真の違いを聞かれ、話し込むが僕の感触とほぼ同じである。 白鳩の鳩舎が変わっている。鉄の大灯籠に穿たれた太陽を撮影一時間ほど。お休み処で甘酒と味噌おでん。昭和天皇皇后と現天皇皇后額入り写真の写真を写す。ビニール包装されている。写真のなかの写真をよく僕は撮る。今日は遊就館で将校たちの遺書、自刃刀、硝煙くさいオブジェを見ない。何度出かけても違ったものが見えてきて面白いのですねここは。D800に28~300mm。

*『World’s End』『2011-Phenomena』では人のショットがふえていますね。

K: 外堀に並ぶ二つの大学を見たり。SS大学とH大学。どちらも文化祭。
おおくの学生が校門まえの歩道にヤッチャン座りで楽しげに赤ら顔です。後方に職員らしい監視人がいます。あやしい光景です。お尻のなかまで見えそうなパンツルックの女子の学友たち、日系何世かの中近東の人たちとの集まりなど。土手の森の中では獲物を捕らえたこがね蜘蛛。夕日をあびながら寝ているホームレス数人。iPhone 5の売り場、対応の人たちの無表情。「あやしくおもしろき処多かり」です。みな異星人にだまされているみたいです。

*事件があった場所に関しても関心を持たれていますね。例えばダイアナ妃の自動車事故があったトンネルとか。東京でもなにか事件とからんで撮影された場所があるのですか。
また場に霊力のあるような場所もあると思います。日光は東京から見て風水上重要な場だったために徳川家康が墓所としたという説もありますね。川田さんが興味をお持ちになる場所にそうしたところがあるとお考えになりますか。 

K: 小さな変化、大きな事件、TVを見ていても、僕にはいまそこにいるようなところがあります。錯覚のようにとらえるのではない。そこに立って見ての観察から自分とつながるテーマを見つけるのです。まえに、新宿の雑居ビルの飲み屋で42人が死んだとき、次の日にでかけました。

*ずいぶん以前のことになりますが、僕が工作舎で雑誌『遊』の編集者だった頃、お訪ねすると「永田くんから明日電話があるということがわかる。」とおっしゃられていました。なにか予知能力のようなものがおありになるようですね。
また中国でサーズが流行したときには恐怖を感じられたとおっしゃっていましたが、眼に見えないものに対する恐怖というものもよくお感じになられるように思います。
普通の人には感じられない恐怖感というものをいつもお持ちになっていられると思います。これは川田さんの幼児体験にも由来するのかも知れません。夢もよくごらんになられるようです。
川田さんのよくおっしゃられるクライシスとはどのような時に訪れると感じられますか。

K: いま、僕の感じるクライシスは平等院のそれとは内容も違います。さまざまな対象にいくつもの心理的な凹凸のクライシスがあるって感じます。夜でも昼でもそれは感じます。そう、ぼくは昔から超能力だとか、オカルト、宗教にいたっては、幸か不幸か、くみしないところがあります。聴覚と嗅覚と視覚的にも敬遠したくなる。といっても、ベートーベンの音、コンピューターから一日中流していますが、天才としかいいようがありません。音につつまれ、脳が壊れそうになり、写真のイメージが去ってしまい没頭して聴くのはやめています。美空ひばりの歌を聴けば、このように写真も表現したいと思います。微細な声の変化、救われたり、目覚めたり、胸が広がります。これって、宗教心に近いような気がします。書でも似たようなものを感じます。

*そういえば書もお好きなんですよね。以前、『夢』としるされた自筆の書を見せていただいたことを思い出しました。
『 2011-Phenomena』ではこれまでの川田作品と比べてもカラーの彩度が高くなってきてきているように感じましたが。

K: いま、いたるところがカオテックになっている。それが人間の細部に見える。構造の頂点が独裁や暴力性を主張するほど、アートや写真だって変わらないのが不思議です。ストレートな写真だってかわっていくでしょう。ドキュメントがいつの時代も同じスタイルでいいはずがありません。失われた色へ、あるいは異物化された色彩へと当然変わります。それはフォトショップをうまく使った方がリアルになるかもしれません。もちろん、つかわなくてもそうなっていくと思います。感覚というのはトータルに変わるものです。

*諸行無常ですね。欧米の写真界ではドキュメントが最も尊敬されているように感じますが、その方法論はあまりかわりばえがしません。ドキュメントの手法としてのモンタージュを見かけたこともないように思います。

『地図』の頃からダブルイメージはよくお使いになられていると思います。『カーマニアック』の時にはダブルイメージがものすごく効果的に現れてきました。都市のテクスチャーはダブルイメージにあふれているわけですが、ただ街を歩いているだけではあまり意識されません。カメラのファインダーを通じるとにわかにハイライズのガラスや自動車のガラスやミラー、メタリックなテクスチャーをとおしてダブルイメージがあらわれます。
『2011-Phenomena』以前は偶然現れるダブルイメージのほうが多かったように思いますが、『2011-Phenomena』ではかなり意識的にあとからダブルイメージをかたちづくられているように思うのですが、どうしてなのでしょう。

K: 二十年ほどまえに。泳いでいるとき、急に胸を刺されるような痛みを感じたのです。心臓です。そのとき母が死にました。痛みと母の死、なんの因果関係などありませんね。そのような同時性を説明しようとしたひとがいました。スイスの心理学者でしたが、日本にもすぐれた後継者がいて心の深み,深層を解明しつつ亡くなりました。日本ウソクラブの会長だったひとです。あるパーティで先生にお会いしました。河合隼雄氏です。いきなり、僕はユンクがすきでなど馬鹿なこといったら、『あっは、そう』っていわれ、長身から見下ろし、細い眼をより細くしていました。シンクロニシティへの関心はたぶんこの辺からだろうと。あらゆるフェノメナに興味を持つようになったかもしれないのです。嘘をつくのは子供の頃から得意でしたが、写真を写すことで下手になりました。

*川田さんは常に新しい視覚体験を求め続けていられますね。『カーマニアック』ではご自分で車を運転しながら撮影する、という危険をともなうような状況にご自分を追い込みながら新しい視点を求められています。『2011-Phenomena』でもクルマから撮影されているカットがあると思います。クルマからの撮影の時はズームレンズを使うことが多いのでしょうか。ファインダーはのぞかれますか。

K: それまで車の中から写真を撮ることはあってもあまり意識はしませんでした。1965年頃、何回かヨーロッパを走っていたときは、一枚も走りながらの写真がありません。事故を起こしたら、日本に帰れないという不安もあったのでしょうし、この視点に気がつかなかったといった方がいい。渋滞の中での密室に似た空間はいたるところにありますね。速度は危険がつきまといます。テンションがかかり、しかもニュートラルで浮遊するような眼になるためには、これ、と思ったのですがはたして。

*西洋の絵画は画面を地面に対して垂直方向に立てて描くのに対して、東洋の絵画は画面を地面に対して水平方向において描くといわれます。
写真でも8x10や4x5のような大型カメラは三脚に固定するのが原則ですので画面は垂直方向になります。35ミリのような小型カメラでも人間が垂直に立っているのが基本的な構えになるのでたいがいの画面は垂直方向に立っていることになります。これは重力と人間の眼の位置とも関係してきます。視覚というのは最も整合性のある情報領域なので地面と垂直の重力を基本とした視覚情報が人間にとっては安心できるものということになりますね。
川田さんの写真を見ていくと、重力感覚がないものが多いことに気がつきます。どちらかというと無重力的な視線だな、と思うのです。子供の頃は空ばかり見上げたり、地面ばかりのぞきこんだりと垂直方向の視線にとらわれずに自由に見ています。
重力的な視線だと構図に気をとられたりしますが、無重力的な視線だともっとずっとアナーキーで自由だと思うんです。

K:  車のウインドゥ越しに街を見ていると、撮るのはほんの一瞬ですから、無重力でアナーキーな眼という表現はあたっています。オートマティック・ニュートラルでいたいのです。しかし、このニュートラル、気がついたときはクラッシュし、車とともに消えているかもしれません。
観察したものをよりイメージ化することはフォトショップからもおこないます。写真で形而上の映像が可能なこともわかりました。コンセプトを強く打ち出すとどうなるかもわかりました。また、ストレートに直叙、複製だけのコンセプトもなにか壊すような強い働きは感じられません。そこから抽象されるさらなるフェノメナを見つけたいと思います。

*機械の眼とコンピューターで形而上の映像を生成する、なんだかSF映画みたいですね。

K: 2011.3.11の災害。人災の果て。セシウムの見えない恐怖のなかに居続けること。あのときヘリコプターのデタッチな視点が僕には関心があった。俯瞰しながら、早くどこまでも自由に動ける透明人間の視点。ニュートラルで無重力、泳げばその感覚だけは身につきます。プールから上がると、ひどい重力を感じふたたび日常に溶け込んでしまいますが。生物的でアナーキー、まあ、自由な視点は人を傷つけるような暴力性をはらんでいる。カメラの眼って、残酷で死臭ほど好むからアンチ・ヒューマンな目です。フォトジェニーに転嫁するってそんなことですね。
『息する限り、あきらめず spero dum spiro』二重括弧内のことばは、何年かまえ、『暴力に逆らって書く』の著者が僕の怠け癖を見抜いて、サインしてくれた添え書きです。いま逆らうより、暴力をふるってしまいそうな自分がいたるところにおります。

*ところで川田さんは普段からニューバランスの靴を愛用されているとおっしゃってましたね。撮影の時だけじゃなくて写真関係のパーティの席でもはいていらっしゃるのをお見かけしました。地面にがっしりくいこむような靴じゃなくてふわっとした感覚がお好きなんでしょうか。

K: ワイルド・ウエザーなどに出会うと、無重力的な感覚で歩きまくったりします。靴はやはり最終的に皮のものがいいし、ヴィブラム底が一般的です。J.M.ウエストンのゴルフ・ブーツ。そのまま、パーティにも行けます。ニューバランスは走るのにはいいが、長時間歩くと問題ですね。メレルは堅いし、形にちょっと難点が、・・・

*メレルのデザインはお好きじゃないんですね。確かにニューバランスは長時間の歩きにはあまり適してないですよね。やはりヴィブラムのソールが安定してます。僕は富士山の頂上まで撮影しに行ったときはヴィブラムソールのDannerをはきました。

ニコンD3はちょっと重いといわれていましたね。最近はD90のような画面もAPSサイズのカメラもお使いになられていると思います。無重力的なアングルを求めるとカメラの重さも気になってきます。川田さんご自身の身体性とあわせてどのようにカメラの選択をされているのでしょうか。
また水泳をされて身体を鍛えていらっしゃったり、以前にはテニスを奈良原さんとおやりになられていた時期もあるように記憶しています。たしかアキレス腱をいためられたりしたこともおありでしたよね。
写真家としての身体性の開発ということも川田さんの方法論の中にあるように思うのですがいかがでしょうか

K: 11月12日。見た夢を忘れるほどの熟睡。12時半頃から6時まで。
20年通っている白金のプールで泳ぎ疲れたのです。マシン・ウォークを取り入れたのも10年ほどになります。バックで泳いだり、水中歩行をしたりしています。ブレストやクロールのスピード泳法から無重力を利用しての水中歩行に変えました。心肺機能重視から、浮遊感覚獲得へといま移っています。バックのバタ足を多く取り入れています。後ろに進む感覚がほんとうは先に進んでいるのです。同時に重力のない船外活動を体験しているわけですね。これって恐怖がないのです。宇宙飛行士もきっと同じだと思うのです?身体感覚が変われば写したものも変わるでしょう。当然。スリの感覚、とはよく言い当てています。掏るための身体のことにはあまり触れませんでしたが、眼や足、指の鍛錬もかかせないでしょう。

*心肺機能重視から、浮遊感覚獲得へ、という鍛錬なんですか。まるで『ライトスタッフ』の訓練のようですね。

川田さんの作品にはクールピクスの連射機能をお使いになった作品がありますね。
カメラやレンズに関して先入観もあまりもたれずにいろいろな可能性を試されていますね。
最近のデジタルカメラにはファインダーのないような機種もあります。ファインダーを覗いて世界を見るということは写真家にとって重要な要素だと思います。単眼であることやThrough the Lensということは写真にとっては重要です。
僕はファインダーがないカメラはまだしっくりこないのですが、川田さんはいかがですか。あたらしいカメラはどんどんお試しになると思うのですが、どんなことをカメラに求められているのでしょうか。

K: 60年代、ヨーロッパ取材の折はズームレンズはなかったでしょう。持ち出しに制限があるし。ライカ一台に交換レンズが一本でした。
僕は遠視ですから、遠くほどよく感じる。いまほとんどズームですね。フルサイズカメラで28mm~300mm 、APSだったら、約1.5倍になるから、よく使います。望遠側が圧倒的に多いですね。自分の遠視とあわせ、瞬間の中身が拡大します。そのぶん時間は遅くなるので、よく見えるときがあります。モードラも使います。スイバルの初期は後ろの対象を写すのに。また赤道儀をつかうのに軽く、倍率の点からAPSサイズはいいのです。太陽から眼を守るにもこれに限ります。コマ連写機能は勝手に対象を裁断し、劇的に変化するものがかくれているのです。これからも使いたいと思っています。そう、ファインダーのことですが、問題は肉眼とのタイムラグです。

*『2011-Phenomena』では35ミリフルフォーマットのサイズもあればAPSサイズのプリントもありました。プリントされる段階ではフルサイズの写真でもトリミングして画面比を変えてしまわれたりしていると言われていましたが、カメラの元のフォーマットにはこだわりがないのでしょうか?

K: カメラのフォーマットにはこだわりません。黄金比や円や正方形のフレームに戻されるのっていやですが仕方がありません。レンジファインダーは生理的に好きですが、メガネをかけると四方の隅が見えなくなるのです。隅々まで確認できないと写せない時がありました。プリズムファインダーも、カメラについているモニターだっていまは使っています。

*『ラストコスモロジー』では「月の人工軌道」のようにフレームの中で天体を動かしているようなイメージをつくられています。天体を撮影しようとすると途端に自分自身がいる地球もまた太陽、月、星達のように常に動いていると言うことに気づかされますね。
この頃から撮影に赤道儀をお使いになったり、天体望遠鏡にカメラを取り付けて撮影されたりしているわけですね。
天体を観察して天体の音楽を聴いているような天文学者は夭逝するとも言われていますが、川田さんはぴんぴんしてます。
今年の金環日食もちゃんと撮影されています。『2011-Phenomena』では日食が3個もあるようなイメージもお作りになられています。
天体に関しては積極的に人工的な感覚をとりいれていますね。これは川田さん自身が地球にいて常に動いているという感覚のあらわれなのでしょうか。

K: 月と太陽。見かけの大きさが同じなのを利用して、一枚の写真に表現すると幻覚よりも怖れが生まれます。フィクションと違うところで、写真的な視覚のパラドクスです。二つの太陽、まぶしい太陽を見つめると、反転したような太陽が眼の中で数分続きますね。その現象は闇への憧れか、不吉な恐怖感があります。失明するとか。怖れから原初的な感覚を再経験するのは人間だれしも。
『2011-Phenomena』のシリーズで表現してみようと。イメージの記述として、円を描く月も写真化しました。本当の軌道を壊しながら、幾何学的な表現をと思ったりして。ユーモアとしてイメージ化してみたいと?三脚を立て、レンズを動かして、想像の軌道を描くわけです。80年代のPCニッコールでしたが、円のなかに角度を描くことで立体を考えたのです。一枚しか写らなかったネガは保存していますが、レンズはいまどこか消えました。

*今年(2012年)の皆既日食は世紀のショーとして皆がこぞって見ようとしましたけれど、古代人にとっては大変なタブーですよね。

K: ベルリン絵画館にあるノルデの〈トロッペンゾンネ=熱帯の太陽〉、赤い空や緑の雲など、病的なイメージを感じながらひさしいのですが。僕の空や雲はノルデを意識しているようでいつの頃から消え、いま黒い太陽へとかわりました。
金環食や皆既日食、月食などでみな感覚が狂うことがあります。小笠原洋上で皆既日食を追いかけたとき、太陽が隠れる瞬間、一陣の風が吹き、暗くなった船の周りに魚の群れが飛び上がるんですね、キラッと大群で。そのとき星が輝きます。航路も狂い、目の前に他船が何艘か集まり危険です。白昼夢の経験でした。それから太陽は黒く見えるのです。

*僕は川田作品の中でも『カーマニアック』が大好きです。この作品を眺めているとJ.G.バラードの小説を読んでいる感覚と似たものを感じます。
また『2011-Phenomena』のテレビ画面に映ったVIP達を眺めているとフィリップ・k・ディックの小説『ヴァリス』のラストシーンを思い浮かべてしまいます。
主人公が居間のテレビの前に座りこんで、画面を見つめ、新たなメッセージを待ち続けているシーンです。
「・・・聖なるものの象徴はわたしたちの世界のガラクタ置き場に最初に姿を現すのだ。・・・ 聖なるものは一番期待していないところに侵入する・・・ 見つけ出せる見込みの一番少ないところを捜してみろよ・・・ わたしは居間でテレビの前に座った。わたしは座った。待った。見た。ずっと目を覚ましていた。わたしたちがはるか昔にそうするよう言われたように。私は使命を果たしつづけた。」
川田さんはSF小説からインスパイアーされることがありますか。
まあ、というより川田さんの作品作りの発想そのものがSF的になっているといった方がいいかもしれませんね。

K: 写真化できそうな文章にであったら、アンダーラインをひき、読書は後回しですね。『ワールズ・エンド (世界の果て)』のときもそうでした。ポール・セローの小説のなかのイメージにひかれたのです。小説とは対象も違うし、ことばのイメージから写真化されるものは自分でも想像ができない。僕の個性がそうさせるのかもしれない、そこがおもしろいのです。文中、いたるところにファルスが潜んでいて、かりに、夫婦の危機ってそんな刹那にあるんだとおもうと、東京でファインダー越しの瞬間のなかに見えるものとシンクロしあうのです。ことばからのフォトジェニーというのをよく感じるのです。霊感とか、予感とかそんなものじゃありません。それを感じるって、個性しかありませんね。
逆の時だっておおいにあります。この方が多いくらいです。目の前で動くもの、変わるものに反応する。ことばにならない新しい動きそのものから。始まりも終わりの現象も瞬間のなかにあります。写真のこれからの可能性として。ひそかに日記をつけることから始まっても、みずからを暴露し、告白して、『ウィタ・セクスアリス』や『鍵』に『私の遍歴時代』となったりしていくのが、本当の姿でしょうね。これも輝ける個性としかいいようがないですね。

*川田さんは常に写真の技術に対して真摯に向き合われてきていると感じています。銀塩の時代には完璧な暗室技術をとりこまれようとしていました。僕も川田さんの暗室の秘密を知りたいと思い、脇リギオさんの開発されたバキュームキャリアーのことを教えていただいたり、引き伸ばし機の下にゴムマットをしいて振動をさける方法、ラピッドセレニウムトーナーとハイポクリアリングエージェントを混合したプリントの仕上げの処方などを教えていただきました。
川田さんの写真技術の方法は徹底していて、月光の印画紙の乳剤が突然変わってしまったのでメーカーに問い合わせた、というエピソードやエプソンのインクジェットプリンターのインクがメキシコ製に変わってしまったので黒の出方が変わってしまった、などというご指摘には、え〜、そんなこと一体どうして気がつくのかな、とほんとうにびっくりしてしまいます。
デジタルプリンターの保存性をチェックされるために水の入ったバットにプリントされた紙を長時間つける実験をされたという話もあります。
また、アンセル・アダムスのゾーンシステムは川田さんのプリント技術には役に立たない、というご指摘もおもしろいな、と感じてしまいます。

K:  暗室はまず水をよくしました。大きな濾過器をとりつけて。塩素が多すぎる。次に完璧な遮光。何種類かの光源を交換できる引伸機OMEGA、カラー用にラッキーと。35mmのためにフォコマート。ネガとプリントの平面度を保つwaki vacuum system、を使いました。プリントの水洗は70年代のなかば予約したアメリカのイーストストリートギャラリーの債権者になったりして、新型が出来るまえに潰れてしまいました。潰れる前に手に入れたのは、現地にいた奈良原一高でした。

*ある日、川田さんをお訪ねするとそれほど端正につくりあげられていた暗室がなくなってしまっていて、Macのノートが3台ほどとエプソンのプリンターに変わっていたのには驚きました。

K: いま、明るい暗室がぼくの作業のすべて。暗い方は二十年前から閉ざしたままです。
使っているのはフォトショップで現在CS-5。機能の何百分の一も使っていません。Light room4もAperture3もディスプレイ・ドックで眠っています。最終的なプリントという感覚、それは消えてゆきます。だから写真なのですが、一枚タブローからはなれ、コピーが、すべてオリジナルという逆さまな要素を持っていますね。そのときのメチェで作り上げているのです。
スライドもそのひとつですが、映画に近づくので作品にするのは疑問です。広がるような錯覚だけが残ります。それなら、本のダミーをオブジェにしたい。

*『World’s End』『日光ー寓話』そして新作の『2011-phenomena』でもプリントの展示とともにスライドショーも発表されていますね。ぼくはとてもスリリングな作品スタイルだと思います。
とはいえ以前『地図』の写真集の自作ダミーを見せていただいたときに感じた1冊しかないオブジェからたちのぼるなんともいえないオーラにはすごい気迫がありました。もう一度見せていただけないか、とお願いしたときには既にアメリカの美術館の収蔵になっていました。
このダミーは当時のCHペーパーをお使いになってつくれらたわけですが、なんと制作に5年もかけられたと先日うかがいました。
他にもいろいろ写真集のダミーをお作りになられていますし、まず1部をすべてオリジナルプリントで構成された写真集もつくられています。
印刷された写真集もとても凝ったつくりをされていることが多いですね。手作りの写真集であれば同じ作品を違う形の構成にしていくことも可能です。

川田さんは写真に関してスピードが大切といってらっしゃいました。
デジタル以前ではシャッターを押して世界を記録した時には写真はまだ見えず、フィルム現像、コンタクトプリント、セレクト、プリントという作業をある一定の時間をかけてつくりあげていたのですが、デジタルではシャッターを押した瞬間に写真ができあがってしまいます。
川田さんは現在、撮影から最終的なプリントを制作する作業まで、どのくらいの時間をかけていらっしゃるのでしょうか。
また銀塩時代とは違ったプロセスをとられていると思いますが、だいたいのプロセスをお教えいただけますでしょうか。
またデジタルデータのストレージについては写真家にもこれといった決め手が現在あまりない状況だと思いますが、川田さんはどのようにされていますか。

K:  撮影後、早いときはすぐプリントを終えます。いらない画像はみなすててしまい、残すのは500カットのうち、2、3点ぐらい。まず、プリントは(レターサイズ)Archival Methodsの赤と黒のバインダーケースに組みあげてゆきます。とはいっても、外付けハードディスク500GBがいやになるほど散乱しています。こんなことになるとは、あとの祭りですね。
個展のときは、A2のアーカイバル・ファインアート紙にプリントします。それ以上のサイズには伸ばしません。マジックリーかハーネミューレの320gsm.パールを。あとは、ライソンのプリントガードで保護します。プリンターはPX-5002。良質の顔料インクを使いたいのですが、メーカーは顔料の中身を秘密にしているとか?

*カラーコントロールはどうされていますか?

K: ICCプロファイルはいろいろとプラグインさせておきますが、色調は専用以外の方が僕にあっています。たとえば、マジックリーのファインアートにハーネミューレのフォトラグ・パールのプロファイルがいいのです。自分で作り替えるのは面倒ですし。あとプラグインするDxOのFilm Packがありますね。僕の愛用するソフトです。黒白に換えたり、さらに粒状を加えたり、ノイズだらけになるまでやったりします。その八割近くを使ってきましたから、フィルムトーンを壊すためにも使いたくなります。画素数がふえ、Raw現像でつくりあげたなんの破綻もない色調を嫌悪する毎日です。色知覚がぼくは狂っているのかもしれません。嗅覚はいいように思っています。アロマ・キャンドルの香りで目の前の風景が消え、ちがった場所を想像できますから。

*『2011-Phenomena』でもモンタージュという用語がいいのかわかりませんが、レイヤーをかさねていかれるような作業もされていると思いますが。

K: アンシャープ・マスクなど、数値はすべて足して偶数になるようにします?何の意味もありませんが。トーンカーブ、コントラスト、覆い焼き、とすべてこの順に。画像操作はすべてにするわけでなく、同じシーンの二つの瞬間をコマ・モンタージュするときになどに使います。あと、オートマティックに。バックライト、差の絶対値を使ったり、反転もつかったりします。そして最後に捨ててしまうことが多いのです。ストレートの撮影だけでもいいのですが、この方法はさらによく考えないといけないときがきています。

*川田さんは暗室での作業ではコントロールが行き届くサイズは11x14inchまでとおっしゃっていたと思います。プリントのサイズ、エディション、プライス。ハンドメイドの写真集。お書きになられる文章にいたるまでディテイルに細心の神経をお使いになられていますね。
プリントセールスということではヨーロッパのギャラリーと交渉する際はキャッシュオンデマンド方式をとられているそうですがそれはヨーロッパのギャラリーの対応がきちんとしていないせいでしょうか。

K: 出版とか、雑誌のこと。オリジナル・プリント、ウエブの写真など。自分のためだけにしゃにむに作るなんてことはまずありません。たべることは重要ですが、写真を撮っていないと、僕は生きていないみたいです。理由はともかく、プロとして原稿料やプリント・プライスの曖昧なこと、約束を果たせないこと。たがいに許容することはいけないことです。また、すぐれた批評をもつコレクターは尊敬しています。

*川田さんのプリントの最大のコレクターはヒューストン美術館(The Museum of Fine Arts, Houston)のキュレーター、アン・タッカーさんだとうかがいました。最近退官されたと聞いています。

最後になりますが、これまでルドウィヒ二世の城やボマルツォの森を撮影になってこられました。そこは個人の妄想や狂気が充満した場であって広がりという面では個人の領域をでない、というようなことを先日はおっしゃっていました。現在東京に一番関心がおありになるのは東京という街そのものがある種、都市文明という巨大な人類の妄想と狂気をあらわしているからなのではないかと思います。ニューヨークやパリではなくておそらく東京という都市に一番の関心を持たれているのではないか、と思いますがそれはなぜなのでしょうか。

K: 仕事の中心は東京ですが、まだ続くような気がします。なんともいえません。東京そのものに関心があるわけではありません。ここでしか僕の写真は探せないかもしれないのです。さまざまな場所も魅力があるのですが、いま、ここでさまざまな場所へ向かおうとしています。

2012年11月26日

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