ERI.Yのヨーロッパ写真見聞録#2

ロベール・ドアノー写真展レポート

Bonjour!フランス滞在中のERI.Yです。

パリフォトから5ヶ月が経ち、フランスは暗く長い冬が終わり春がやってきました。

その間、私はヴェルサイユから電車で10分の郊外の町に暮らしていました。そこから電車で40分かけてパリのモンパルナスまで出てアリアンスフランセーズ(1883年創立のフランス語普及のための機関)という語学学校に2ヶ月通いました。そこで日本人をはじめ、中国人、インドネシア人、ドイツ人、スペイン人、ブルガリア人、イタリア人、アメリカ人とさまざまな国籍の友だちができました。一緒にヨガ教室へ行ったり映画を見に行ったりして学校が終わった今も連絡を取り合っています。

 3月になり、部屋の契約が切れる関係で郊外の町からよりパリに近いところに引っ越しました。本当はパリの市内で部屋を借りる予定だったのですが、引越しの1週間前に突然契約を破棄されてしまい(!)慌てて次を探しました。
タイミングよく貸し部屋の記事を掲示板で見つけてすぐに連絡、結果素敵な大家さんと出会うことができました。再び郊外ですが、今度は電車で10分でパリに出れますし、駅から家までは徒歩1分、借りるお部屋はアパルトマンではなく暖炉やお庭があって食いしん坊な猫の暮らす素敵な一軒家なのです!大家さんはフランス人で学校の先生をされているのですが、大阪に3年半いたこともあり、大変な親日家でいらっしゃいます。

引越しの直前から、パリの8区にあるレストラン「マコト・アオキ」でホールスタッフとして働かせていただくことになりました。シェフはじめスタッフは日本人、料理はトラディショナルなフレンチで地元の人々に絶大な支持を得ています。
8区はエリゼといって大統領府があるほか、大きな金融関係の会社やアートギャラリーがたくさん集まっているとてもシックな界隈です。お昼のお客様はほとんどが近所で働くフランス人、夜は日本人のお客様が多くいらっしゃいます。

皆様とても素敵な方ばかりです、たとえば先日、夜にいらっしゃった日本人のご夫妻。ご主人が一冊のアルバムを取り出してお話してくださいました。「家内の先祖が100年ほど前にフランスに来て写真を撮ったのですよ。これがそれなんですが。定年になって時間ができたので、家内と一緒に先祖の足跡を辿る旅をしに来たわけです。」
アルバム自体は写真屋さんでよくみかける簡単なものでしたが結構厚みがあって、中には小さなサイズの古い写真が一枚一枚きちんと収められていました。そこにははっきりと当時の凱旋門が写っています。このアルバムを手に、ご夫妻は初めて訪れるフランスの21世紀の様子と100年前のその姿とを見比べながら旅をしているようでした。100年前の写真がガイドだなんてなんという贅沢!
しかしそのガイドは写真のイメージだけで、それが何であるかという解説はありません。(写真の裏に何かが書いてあるのですが、達筆過ぎて判読できないとのこと)ご先祖さまの足跡を辿るにはまず、その写真が何を写しいて、それがどこにあるかということを調べることからはじまりそうです。
普通の旅行では「これがあの凱旋門か!」と現在のその姿を見て終わりですが、100年前の写真があることで過去と現在の違いは何だろうと考察は続き、空間のみならず時間を越えた旅行が同時にかなうことになります。今は見ることのできない過去の情景や姿を垣間見ることができることは写真の大きな魅力のひとつだと思います。

過去を垣間見ることのできる写真といえば、ルポ写真でパリの市政を写した写真家ロベール・ドアノーの写真展が現在パリ市庁舎で開催中です。

タイトルは「ドアノー・パリ・レアール」。レアールは現在、フォーラム・デ・アールと名称を変えて、一部再開発の真っ最中ですが、かつては12世紀から続く中央市場でした。この写真展では、ドアノーの200枚ほどの写真を通して、古くから続いてきたレアールの当時の様子とそれが解体されていく様子、さらに移転先ランジスの市場の様子を垣間見ることができます。


ドアノーが最初のレアールの写真を撮ったのは1933年、21歳のことでした。その後1950年代から1960年代にかけて、撮影の回数が増えていきます。1967年にレアールの移転が正式に発表されると、毎週定期的に撮影に出かけるようになります。レアールの建築、夜のレアール、通行する人々、カフェやレストランの様子、市場で働く人々、花屋、肉屋、魚屋にパン屋、移転前の市場の賑わう様子が伺えます。もちろん移転前の市場最終日にもドアノーはレアールにカメラを向けます。そしてレアールの解体が始まると、多くの人々が固唾を呑んでその成り行きを見守ります。さて、移転先ランジスの市場ですが、こちらは整然としていてこれまでみてきたレアールの賑わいからすると少し静かで寂しい印象さえ感じます。レアールはパリの中心にありました。人にたとえるとちょうどおなかにあたるということと、パリの人々のお腹を満たすということをかけて、当時「パリはお腹を失った」とその印象をドアノーは表現しているのですが、写真を見るとパリの人々がどれだけレアールを愛していたかが伝わってきます。

 この写真展はなんと無料のため、表は1時間待ちの行列ですが入場を規制しながら行っているので会場内は意外と空いていて、ゆっくり鑑賞ができるうえに、ソファーなどもあり、疲れた私はしばし腰をかけてドアノーの写真を見に来ている人々を観察していました。私が訪れた日は、ほとんどがフランス人。1人、ドアノーの熱狂的なファン。フランス人の中でも高齢な方々が60%、40%は若い人たちでした。ドアノーの写真を通して、60%はかつてのレアールの思いを馳せ、40%はフォーラム・デ・アールの歴史を知ることとなったでしょう。もちろん私も後者です。

パンフレットにあったドアノーの言葉です。

「週に1度はレアールで夜を過ごしたかった私は、モンルージュで早朝3時に起き出す。そして、トラックから荷を降ろしたり、お店の設営をしたりと夜明けに働く人々の間を通り抜けてレアールまでいった。
写真を撮るのは難しかった。なぜなら、光量が足りなかったし、カメラは疲労が原因でスローシャッターだったからだ。本当にたくさんの写真がまずまずのものだった。それから、レアールは威圧的だった。でも私は頑張った。それは消え行くものだと知っていたし、絶対にその思い出を記憶に留めておきたかったからだ。」(筆者訳)

ドアノーが懸命に撮って残してくれた写真をガイドに、パリのお腹の過去に思いを馳せながら、散策に出かけてみようと思います。

EXPOSITION GRATUITE A L'HOTEL DE VILLE
2012年2月8日~4月28日
日曜・祝日を除いて毎日10時から19時まで
SALON D'ACCOUEIL 29 RUE DE RIVOLI 75004 PARIS

IMG_3937.JPG

IMG_3938.JPG

IMG_3944.JPG