写真集を読む 『地図』川田喜久治

スケールの大きな神話的ドキュメント

内藤正敏(写真家・民俗学者)

 川田喜久治の代表作というより、日本写真史を代表する名作といってよい写真集『地図』が新装復刊された。初版本は、1965年に美術出版社から出されたが、発行部数が500部と少なかったため、図書館にもほとんど収蔵されていない。そのため、実際に手にとって見た人は少なく、まさに「幻の写真集」が四十年ぶりに出版されたことは、非常に喜ばしい。
 しかし、新装復刊は初版本をそのまま再現したわけではない。全体の写真のレイアウトはほぼ同じだが、ブックケースのカバーと裏表紙が、川田の考えで「原爆ドーム」のシミの写真になり、初版本で大江健三郎が書いた序文をなくし、今度は川田自身が書いている。
 印刷の質も、川田自身がコンピューターの画像処理をして質感が深まり、初版本より川田の思想が強く反映された写真集になっている。
 ところで、川田喜久治の『地図』といえば、必ず話題になるのが、写真集の全ページが観音開きという特異なブックデザインである。初版本でデザインを担当した杉浦康平が、当初考えたアイディアは、何ページかを観音開きにするものだったが、二人で作業を進めていくうちに、全ページ観音開きの本になったのだという。
 このオール観音開きの本という発想は、単にブックデザインとして新しいという以上の意味を持っているように思われる。
 そもそも観音開きとは、真ん中から左右に開くようになった扉で、観音菩薩などの本尊を安置する厨子の作りからきている。
 普通の扉は開けるためにあるが、厨子の観音開きの扉は閉めるためにある。由緒ある大寺では、本尊を秘仏として、厨子の観音開きの扉はかたく閉ざされ、扉の前には御前立本尊が安置される。さらに浅草寺のような古寺名刹では、その御前立本尊も秘伝として厨子の中に隠され、厨子の後方に裏本尊が安置され、参詣人はこれを拝む。
 観音開きは、もっとも重要な本尊を秘して見せないことで、神秘性や聖性を高める装置である。川田の『地図』が一冊丸ごと観音開きなのも、単に外形上のデザイン的な新しさだけでなく、この写真集の根源的な思想からくるのではないかと思えるのだ。
 この写真集を見ようとすると、一つ一つ観音開きを両手で開いて見る、という作業を繰り返すことを強いられる。そのため、いつの間にか川田の思考過程を追体験することを強制させられるのである。
 写真集全体は190ページ。ところが観音開きを開くと、4ページのワイドな画面が現れる。これが23カ所あるので92ページ。つまり全体の半数近くの写真が観音開きの奥に隠されていることになる。まさに『地図』は、本質が観音開きの奥に隠された「秘仏の写真集」といってよい。それでは川田喜久治は、この写真集の中に何を隠そうとしたのだろう。
 実際に写真集『地図』を開くと、冒頭に「広島原爆死者」の写真が序文のようにあり、本題に入ってゆく。
 まず、「原爆ドームのシミ→要塞跡→原爆ドームのシミ・原爆ドームのシミ」、次に「要塞跡→要塞跡→トーチカ内部」、次に「原爆ドームのシミ・原爆ドームのシミ」・・・・・・といったレイアウトで、あたかも寺院で「裏本尊→御前立本尊→秘仏の本尊」と拝観するような形で写真集が展開してゆく。
 この冒頭部分で、『地図』の主題が原爆と戦争であることを示しているが、「原爆ドームのシミ」が、まるで秘仏の呪文のように、写真集全体を貫いて頻繁に出現してくるのだ。いったい「原爆ドームのシミ」とは何なのか。
 川田喜久治が新装版のために書き下ろした「“しみ”のイリュージョン」というエッセイの中に興味深いことが書かれている。
 広島に原爆が投下されて十数年が過ぎた頃、どこからともなく黒く巨大なシミが現れた。それは原爆が炸裂した瞬間、広島県産業奨励館、現在の原爆ドームの地下室にいた数十人の人間が四千度を超す閃光熱線で、一瞬にして消滅し、続いて降った黒い雨と長い時間により、シミとなって忽然と現れた、というのである。
 川田は、原爆ドームの天井に見つけた黒いシミの中に、原爆で虐殺された死者たちのイメージを重ねて増幅させ、それがこの写真集をまとめる原点ともなっていることを物語っている。
 それでは再び写真集に戻って、ページを開いてゆきたい。三分の一あたりまで進んだところで、写真集に大きな変化が起こる。「爆弾三勇士」の写真を開くと、突然、「ケロイドの腕」が現れる。この写真は女性の腕のケロイドのクローズアップだが、まるで地獄絵の劫火のような旋律的な凄みがある。この直後、写真集が急展開を見せる。
 特攻隊員の肖像写真、遺書、遺品の写真が執拗に続き、ここでは秘仏のように観音開きの奥にあるべき写真が前に出てきたり、その逆であったり、突然、レイアウトが乱調になり、ハイテンションになる。
 これは川田が幼少期を過ごした実家近くの霞ヶ浦に予科練があり、ここは海軍の航空機要員を養成する施設で、川田も予科練に入ってゼロ戦に乗ることに憧れる少年だった。もう少し戦争が長引けば、自分も特攻隊員になって死んでいたかもしれない。そんな心の奥底の恐怖が、川田を突き動かしていたのではないだろうか。
 特攻隊員の写真の後、写真集は「シミ→シミ→シミ・シミ」「 シミ・シミ→シミ→シミ・シミ・シミ」「シミ→原爆ドーム→シミ・シミ」・・・・・・といった具合に、「原爆ドームのシミ」が主役として集中的に現れ、異様な盛り上がりをみせる。その後もシミは観音開きの前や奥に現れるが、やがて凶悪犯人モンタージュ手配写真、勲章をつけた亡霊のような元将校の老人、踏みにじられた日の丸、占領軍が持ち込んだラッキーストライクやコカコーラ・・・・・・など、私たちの予想を裏切るかのように大きな展開をみせ、最後は、原爆ドームのシミと壁面の写真で終わる。
 写真集『地図』の元になったのは、1961年に富士フォトサロンで開かれた川田の個展「地図」である。この年、土門拳、東松照明らの写真集『Hiroshima Nagasaki Document 1961』が原水協から出版され、翌年、東松照明が富士フォトサロンで個展「〈11時02分〉Document Nagasaki 1961-1962」を開いている。土門拳が1958年に、『ヒロシマ』を出版してから、この頃、原爆を写した注目すべき写真が続けて発表されている。
 土門拳は、原爆が投下されて13年後の被爆者たちの現実を写して、原爆の恐ろしさを告発するリアリズム写真を結実させた。
 東松照明は、原爆が炸裂した1945年8月9日11時02分で止まった時間と、これを基点に現在進行形の時間を二重に写し撮ることで、新しいドキュメントを確立した。
 これに対して川田喜久治は、現実から自らのイマジネーションで生み出した非現実の現実と、実際の現実を重ねて写そうと試みている。土門や東松の視線が外部の社会へと向かうのに対して、川田の視線は自分の内部へと向けられる。しかし、決して現実や社会と遊離することはない。
 川田喜久治の『地図』は、この二つの現実が鋭く拮抗して生み出されたスケールの大きな神話的ドキュメントであり、黙示録的な写真絵巻だ。


内藤正敏

1938年、東京生まれ。写真家。民俗学者。東北芸術工科大学教授。民俗学的アプローチの作品を数々発表。1982年『出羽三山と修験』で土門拳小受賞。海外での評価も高い。写真集・著書に『東京』『ミイラ信仰の研究』『遠野物語の原風景』『修験道の精神宇宙』など多数。

『地図』川田喜久治 190ページ総観音開き A5変形版上製函入 リーフレット同梱 (有)月曜社 12600円

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Presenting The Map by Kikuji Kawada

(月刊フォトコンテスト2005年10月号に掲載されたエッセイを著者の了解を得て再収録しました。)