写真中毒者のための読書ガイド #5

『アートインダストリー 究極のコモディティを求めて

辛美沙 美学出版刊 より

 日本がバブル期におかした最大の失敗は、無謀なアートへの投資ではなく、アートマーケットのインフラを整備しなかったことにある。さらに、バブル崩壊における最大のダメージは、アートの値段が暴落したことだけではなく、アートそのものへの信頼が地に落ちてしまったことである。一度地に落ちたものの回復は容易ではない。
 アートマーケットはアーティストなしには存在せず、アーティストも国家や王侯貴族、あるいは教会といったパトロンのない現代においてはマーケットなしには存在できない。アートの世界を構成するインフラはアーティスト、コレクター、美術館、ギャラリー、教育研究機関、オークションハウス、メディア、出版等々多岐にわたる。これらはすべて経済活動を基本に、アートの価値を形成するシステムとしての役割を持っている。つまり、どのギャラリーに所属しているか、どの美術館で展覧会をしたか、誰がキュレータか、誰が評価しているか、誰が所蔵しているか、どのメディアがどう取り上げているかといったことがアートの価値を保障し、それがマーケットにおいて価格を決める要因となって働くのである。
 しかし、このような評価システムを伴ったインフラは、日本をはじめとするアジア諸国には壊滅的といっていいほど存在せず、アジア以外での評価システムによってアジアンアートのマーケットが成立しているのは周知の通りである。アートマーケットは今後も続いていくだろう。あるいはアートにおいてムーヴメントというものがなくなった今、残っているのはマーケットというムーヴメントだけかもしれない。そして、どれだけ高い値段で相応の人に販売するかというビジネスモデルも変わらないだろう。美術館という制度、ギャラリーのシステム、あるいはアートという概念そのもの、これらはすべてアジアから生まれたものではないが、われわれが独自の評価システムを作り出す方法を見つけられないとしたら、われわれはルールを知り、泳ぎ方を覚え、ゲームのプレイヤーとして参加する必要があるだろう。

中略

 インダストリーとは、経済が伴っていること、つまりそこにいる人々がその産業を生業としていることである。経済力の伴わない産業は人材も育たず、競争力はなくなるだろう。日本はアートが職業として成立しない場所である。「アーティストになりたい」と言うと、親は「食べていけない」と反対するし、事実食べてはいけない。「学芸員になりたい」と言うと、「美術館の展示室でひざに毛布をかけて座っていたいのか」というほど、この国でアートは職業として社会的なリスペクトもない。アートは趣味と教養であれば十分なのだ。仕事として成立しなければ、プロフェッショナルの需要などあろうはずもない。
 実際、日本のアート業界は女と学生とボランティアばかりだ。女はアートが好きだから、アートの仕事をしたいからという理由でボランティアか、さもなくば労働基準法すれすれの賃金で雇われてもそんなものかと黙っている。劣悪な条件でも人を募集すれば英語がぺらぺらの帰国子女を含め大勢の女が応募する。自分さがしにもまたアートは魅力的なジャンルである。アートが好きだからという理由で男が妻子を飢えさせることは社会的には許されない。しかし、女は裕福な親か夫がいれば、ボランティアでもかまわないというわけだ。実際優秀なボランティアは財政難にあえぐ美術館において、大いにたすけになっている一方、ボランティアに依存するあまり、プロフェッショナルな人材が育つ土壌がなくなっていることも事実だ。ボランティアは安価な労働力ではなく、社会の既存のシステムでは存在しない役割や対応しきれないニーズを担う労働力として、組織とは別のマネジメントが必要である。また美大芸大の学生は、学校では誰もサバイバル術をおしえてくれないし、ロールモデルになるような教授もいないから、学生時代に美術館でボランティア活動をしてみたり、アルバイトをして仲間で展覧会をしてみたりもするが、卒業と同時にアートでは食べていけないどころかスタジオも借りられないという現実にはたと気付き、そして、アーティストになることを断念する。
 バブルの頃、日本のアートマーケットは1兆円規模だったといわれている。それだけのマネーがどういう形であれアートという業界にあったにも関わらず、インフラに投資をしなかったつけは、職業としてのアートが成立していないという現実に回ってきている。日本の現在の状況を救う道があるとしたら、まずは世界のスタンダードとなっているルールを知ることだ。しかし、ゲームのルールを知るものは、ルールを教えないという。ならば、せめて遊泳術を身につけよう。でないと簡単に溺れることになる。

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*2008年に出版された書だが、アートマーケットの現状、すなわちアートが表向き金と無縁の聖域から一気に経済のマーケットの中に躍り出てきて、ファッション、広告、都市開発などと強力に結びついていった様子が解説されている。さらに藝大での講義をもとにアーティストがどのようにしてマーケットにデビューするかといった具体的な方法も記述されている。
日本の写真界ではファインアートフォトマーケットに出て行くやり方を教えるものは皆無。アメリカには”Business of Photography"の著者マリー・ヴァージニア・スワンソンがいて、どのポートフォリオレビューにもたいがい参加しているし、個人コンサルタントもしている。
著者が主張するようにアジア、日本にアートマーケットのインフラが整備されていない以上は欧米のアートマーケットのルールを知ることは必須であろう。しかし東洋のタオ的な概念をベースとする日常生活に密着したアートのありようはこれからの時代を生きる人にとって重要な問題であることも確かなことである。いかに東洋、日本オリジナルのアートを世界に向かってブランディングできるかも喫緊の課題であろう。