サンタフェ・プライズ・フォー・フォトグラフィーと「センチメンタル・エデュケーション」についてのコメント

シャーロット・コットン
ロサンゼルス・カウンティ美術館ウォリス・アネンバーグ写真部門学芸員/ディレクター(2009年4月)

今年、私はこれまでにないほど多くの現代写真コンペの審査員を務めてきた。現代の抱える大きな社会的・政治的問題に強い関心をもち、私たち人間とは誰であり、何者なのかを問う〝物語〟を世界に求めて活動する写真家のノミネートが増えているのは歓迎すべきことだと思う。

私はこの3週間、候補作のなかで強く印象に残った写真家とその作品にじっくり目を通した。したがって今回の写真賞のファイナリストや受賞者の選考に関しては、単なる目新しさやその日の気分には左右されずに判断を下せたのではないかと思っている。今回の選考では、最終的にその写真家が被写体(subject)を意味のある形で探究し、自らのコンセプトと被写体(subject)の実際の体験との間に良好かつ永続的なバランスを生み出していると感じられるプロジェクトに絞り込んでいった。

今回のサンタフェ・プライズ・フォー・フォトグラフィーの受賞者に兼子裕代を選んだのは、彼女の作品とステートメントに非常に興味を引かれた――最初は混乱さえ覚えた――からだ。永続性のある写真プロジェクトに出会ったとき、最初からそのすべてが明らかになるわけではない。むしろその反対のことを私はしばしば経験する。自分の家族が風呂に入っている場面を写した彼女の作品を、私は何度もくり返し見た。いくつか疑問もわいてきた。視覚的に誘惑的な舞台設定のもとでの入浴する日本人という題材は、このプロジェクトを本質的に〝美しすぎる〟ものにしているのではないか? ポートレートの技法(portraiture)を一定範囲で用いることは、被写体について、あるいは彼女と被写体との関係について何を物語っているのか? 要は、定型的という言葉では表現しきれない兼子裕代の作風を心地よく受け入れ、彼女の作品が紡ぎ出す矛盾をはらんだ意外性のある糸が興味深く、永続性のあるものだと信じられるようになるまでにある程度の時間が必要だったのだ。彼女の仕事を支える幾層もの微妙な思考と観察を私は高く評価する。サンタフェ写真賞受賞によって素晴らしいサポートを得たことがこれからの彼女の写真にどんな影響を与えるのか、本当に楽しみである。

(翻訳:幾島幸子)

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*サンタフェ・プライズ・フォー・フォトグラフィーはレビューサンタフェやプロジェクトコンペティションを主催するCenterが2年に一度催すコンペ。全米からキュレーターなどの推薦による約100名のノミネートされた写真家のなかから選ばれる。最初のウィナーはアレック・ソス(2003年)